「マスク制限一部解除」と変異株への警戒
イタリアは6月28日より「屋外」でのマスク制限を解除し、自由に歩けるようになりました。
マスク着用は1年近くにわたり義務化されていましたが、各州の感染状況を表す4段階の色分けシステムの中で、イタリア全土が最も感染リスクが低い「ホワイトゾーン」となったのも理由の一つです。
しかし「今日からマスクを外して良いですよ」と言われても、習慣となってしまったマスクをすぐに外したくないという人もいます。一方、現在もマスク着用義務は、屋内の施設、または公共交通機関のように社会的な距離を置くことが難しい場所に限られているため、常に携帯しておかなければなりません。
イタリアでは新規陽性者数が一旦減少し、最近また少しずつ増加してきているため、政府は変異株の影響を警戒しています。感染拡大予想ではおそらく8月後半から9月前半にかけて変化があると言われています。
(8月に入って増加していく予測値)
しかし変異株による新規陽性者の増加に反して、重症化または死者数が日々減少傾向にあり、日によっては死者数0という時もあります。ワクチン接種を1回接種した人はイタリア全体の約56%(ロンバルディア州で65%)。この中には私のようなジョンソンのワクチンも含まれています。2回目の接種を受けた人は約37%。EUの他の主要国も、おおむね同様の水準となっています。
結果、最近の傾向では新規陽性者数の増減は以前のように心配するのではなく、重症化、死者数の方が重要だと考えられてきています。死に至らないのであれば季節性のインフルエンザの次元で気をつければ良いと言うわけです。
リニューアルした劇場を「見る」
ミラノにあるオペラ劇場といえば1778年にオープンした「スカラ座」と答えると思います。しかし、その一年後の1779年に「リリコ劇場」もオープンしていることを知っている方はとても少ないです。ドゥオーモ広場の近くにありながら知名度が少ないと言う理由は、リリコ劇場が1999年から長期にわたる大規模改装に入ったためであり、何度もイタリアに旅行している方でさえ知ることはないのです。
(ミラノ市役所の真横に位置します)
1999年の最後の公演から22年ぶりに一般公開されたリリコ劇場は、1時間程度のピアノコンサートが一日4回行われたのですが、内装はまだ未完成の見切り発車状態。プラテア席になんと!「座布団」を敷いて鑑賞することになりました。10月までに内装のすべての仕上げを施した上で、座席を設置し、次のシーズン2021/2022年には798席のプラテア席、505席のガレリア席、146席のバルコニー席の最大1517人を収容できる劇場に完成するそうです。
(ファツィオーリ製のグランドピアノ、推定2000万円)
1717年にミラノの王宮劇場であるドゥカーレ劇場が建設され、その後、1776年2月25日に火災で全焼しました。同年「サンタ・マリア・アッラ・スカラ教会」を取り壊してスカラ座建設が始まり、一方、パオロ・ダ・カンノビオが設立したカンノビア学校の跡地にリリコ劇場が建設されました。建築は新古典主義建築で有名なピエルマリーニが担当し、スカラ座を「大劇場」「高貴な劇場」、リリコ劇場を「小劇場」「大衆的な劇場」として使われていました。
リリコ劇場の歴史で有名どころでは、1832年にドニゼッティ作曲のオペラ「愛の妙薬」、1902年にはチレア作曲のオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」の初演などがあります。
その他、演劇、映画の上映なども行われ、1943年から1945年にかけて、ミラノを襲った英米軍の大爆撃でスカラ座が破壊された時には、スカラ座のシーズンをリリコ劇場で開催したこともあります。
1944年12月16日、ムッソリーニは彼の最後の集会をここで行いました。
戦後、リリコ劇場はさまざまな文化的な役割に使用されましたが、90年代に入って財政危機により閉鎖されました。
一方、スカラ座のイベントもたくさん行われています。
7月11日~14日はミラノの至る所でスカラ座の無料公演が行われ、最終日の14日はスカラ座内部でコンサートが開かれました。1時間半の公演が一日3回。室内楽、合唱、バレエと好きな人は何度も足を運んでいるに違いありません。
会場に入る時には検温、内部ではマスク着用が義務付けられ、座席間隔も市松模様に使用可能となっていました。
コロナ禍でオープンした注目のカフェで「食べる」
ロックダウンの真っ最中にオープンした新しいカフェ「Loste」は、並んででも食べたいブリオッシュと選りすぐりのコーヒーを提供しています。オーナーの2人、ロレンツォとステファノは「あの」Nomaで働いているときに出会いました。
ロックダウンという困難な時期に、店を開くことを選んだ勇気と熱意の店は彼らの名前の頭文字をとって「Loste」。ドルチェとガッバーナの「ドルガバ」みたいな感じですね。
彼らが働いていた「Noma」はコペンハーゲンにある世界最高のレストランのひとつであり、前衛的な料理として世界中から注目されています。そこで5年間、ヘッドパティスリーシェフを務めたステファノ、ソムリエのロレンツォがオープンしたカフェがミラノにできると聞いたら、話題になるのは必然であると言えます。
店内の内装はとてもシンプルでエレガント、食器も和食器を使って演出をしています。中心から少し離れた住宅地にあるのですが、意識高い系の客層で溢れていました。
(アイスコーヒーも湯呑み茶碗で)
ステファノは大学を卒業後、トリノからロンドンに移り、ドバイとシドニーそして日本、香港、メキシコで働きました。ロレンツォは、ロンドンでワインの世界に入り、その後、バンクーバーを経てコペンハーゲンに移りました。
彼らがミラノを選んだのは「イタリアの中でもミラノに店を持つことに意味があり、国際的な集客力やイノベーション都市だから」ということです。
記念切手を「買う」
イタリア国内の主要観光都市をデザインした切手で再出発を願っています。
イタリア郵便局は国立造幣局のポリグラフ研究所の協力を得て、経済開発省が発行した観光切手シリーズ「イタリア再出発」をテーマにしました。「自然遺産と景観」の中で6都市を選び、ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリ、パレルモの観光地をデザインした郵便切手を発表しました。
切手には、「L’Italia riparte」(イタリアは再び出発する)というメッセージが書かれ、各都市からの言葉も記されています。例えば「ローマはあなたを待っています」と。
1年半の厳しい戦いを経て、再スタートを切ることを象徴するようなこの企画は、観光客が到着し、さまざまな言語を耳にし、多くの人々が再びこの街の通りを歩き始めるのを見ることを心から願っています。デザインに選ばれたこれらの都市が再出発するということは、イタリアの再出発を意味します。
サッカー欧州選手権で、まさかの優勝
サッカー欧州選手権が7月11日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで決勝が行われました。イタリアからのサポーターは、1000人だけ入国が認められ、チャーター便で到着後12時間で帰国をするという条件となっていました。6万人のイングランドサポーターの中に、1000人のイタリアサポーター。どアウェイの中で、まさかのイタリアがイングランドを退け、1968年以来2度目の優勝を果たしました。
コロナで被害を受け経済も精神的にも落ち込んでいたイタリアに突然の吉報。優勝が決まった直後から夜中まで、イタリア各地このような状態でした。
もう枯れてしまった木の古株から突然新しい芽が生えてきたように、この瞬間、イタリアの「復活の日」を見たような気がしました。「コロナに勝つ」と長く言われてきましたが、この抽象的な表現は一体何を意味するのかと思っていました。しかし「イタリア優勝」というスポーツの力は、見事に「コロナに勝つ」を具現化したと確信しております。
コロナによって焦土化し憂いに沈んだ国民に喜びを与え、再びイタリアを一つにしました。
ミラノ、川倉靖史