「その日」から。
新型コロナウィルスのイタリアにおける感染爆発は2月21日、ミラノ近郊の小さな街、コドーニョで始まりました。
その日の事は今でもよく覚えています。日本からお越しのお客様とミラノ観光をし、その日は特に感染についての話はせず、翌日になってやっと「一人目の感染者が出たようですよ。この近くの街だそうです。」と言う話題を、朝の移動の時にしていました。その日はミラノから専用車で高速道路に乗って南下しており、たまたまそのあたりを通過しているときに話題が出たくらいの軽い気持ちでいました。
実際、ブッセートという街を観光している時、翌日の日曜日にマラソンのイベントがあったようで、街の中心は感染など無関係の様にイベントスペースの設営に活気付いておりました。
その時は「感染」はまだまだ遠い世界の話、その後、イタリア国民全員がマスクを着用する事態になるなど、誰も想像出来ませんでした。
しかしその2月の時点で既にイタリア国内では、北イタリアを中心にウィルスが蔓延していたかも知れません。
イタリア北部の都市、ベルガモで去年の11月から「原因不明の肺炎」が広がり、1月までに110人が入院してしたと、イタリアメディアが6月30日に報じています。
入院者数が前年に比べ大幅に上回っていますが、残念ながら検体の保存が行われておらず、新型コロナウィルスであるかの確認はできておりません。
しかしながらイタリア高等衛生研究所の調査では、去年の12月にミラノとトリノで採取された下水から新型コロナウィルスの遺伝子が検出されており、かなり前からイタリア国内に存在していた事が証明されました。
そうすると話は変わってくるのですが、1918年のスペイン風邪の死者数の波形と比べてみても、去年の11月~12月が実は第1波、3月~4月が第2波なのではないか。怖いくらいスペイン風邪の周期と一致しているので、現在「第2波」というのを警戒していますが、もしかして次に来るのは第3波ではないか?スペイン風の周期と合わせるならば、8月~9月に警戒しなければならないのでは?ということです。
「かつて、これほどの静寂を私は知らない…」(by 月影千草)
3月に入るとすぐにイタリア全土の都市封鎖に入り、日本のメディアにもイタリアのニュースが流れていました。イタリア人はベランダで歌を歌ったり、フラッシュモブ的にベランダから一斉に携帯のライトを点したり、ロックダウンすら楽しもうとしている、と。
しかしミラノでは呑気に楽しんでいたのは始めのうちだけ、その後、気味が悪いくらい街が静まりかえり、聞こえてくるのは一日中響き渡る救急車のサイレン。みな息をひそめて見えない恐怖が通り過ぎるのを待っているかのようでした。
最初の恐怖は、イタリア人らしいというか、「飢え」の恐怖です。スーパーの棚からパスタの箱が消え、レジには長蛇の列を作り、感染拡大を懸念しスーパーでの買い物におけるガイドラインがすぐに出来るくらいの混乱でした。そして店内は人数制限、マスクと手袋を着用、検温義務。
次なる恐怖は「死」の恐怖。毎日18時になると感染者数が発表されるのですが、日に日に増加していく死者数は恐怖以外の何物でもありません。
日本の方から何故、ミラノを中心としたロンバルディア州での死者数が増加をしているのかをよく質問されます。
近年、イタリア北部は主に交通渋滞に起因する微小粒子状物質「PM10」の濃度が高いことが問題視されていました。今のところ新型コロナウィルスによるロンアルディア州の致死率と大気汚染の関連性は証明されておりませんが、致死率データによると死亡した患者の大半は高齢者または肺などに基礎疾患あったことが示されています。
しかし大気汚染の分布図と新型コロナウィルスの分布図が一致しているのも事実。北部イタリアでは長い年月をかけて肺が損傷され、そこにウィルスの感染により致死率を大きく引き上げてしまう原因となったのかもしれません。
しかしその後、都市封鎖と移動制限措置が取られたため、待機中の亜酸化窒素と微小粒子状物質が大幅に減少し、徐々に重篤患者が減少していきました。生活は大変でしたが、ロックダウンに一定の成果があったことが証明されます。
「Vincero!(勝利するぞ!)」
5月に入り、段階的に封鎖が解除され、6月には都市間での移動も自由になりました。しかしロンバルディア州はまだまだ厳しい状態が続いております。新規感染者もロンバルディア州は全体の半数を占め、今のところマスク着用義務も継続しています。とはいえ、人口1000万人のうち新規感染者は一日100人前後。東京とさほど変わらないのですが。
5月25日には医療従事者への感謝とその痛手から復活しつつある国民を勇気付けため、イタリア空軍の曲芸飛行チーム「フレッチェ・トリコローリ」(三色の矢)がミラノ上空を飛行しました。
三色はイタリア国旗にも採用されたイタリア統一と連帯を象徴としています。カラースモークがミラノの空を彩り、新しい時代への幕開けとなります。
(動画)5月25日、ドゥオーモ広場にて筆者撮影
イタリア空軍の曲芸飛行チームは去年の10月にミラノの航空ショーでも披露され、航空ショーの締めくくりにはパヴァロッティの歌う「誰も寝てはならぬ」とともに全長1500メートルのカラースモークで大空を描くのが最大の見どころとなっています。
「誰も寝てはならぬ」はプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」のアリア。
「夜よ消え失せろ。星たちも沈んでくれ。夜が明ければ私が勝つのだ。きっと勝つのだ!(Vincero!)」と高らかに歌い上げます。
(動画)2019年10月12日、リナーテ空港にて筆者撮影
夜明けの来ない夜はありません。私たちはこの難局を乗り越え、勝利する日を信じて。
(ミラノ 川倉靖史)