田園の宝石 メディチ家のヴィラめぐり

トスカーナ州の田園一帯に点在するルネッサンス様式のヴィラと庭園。
街中では見られえない、自然と調和した建築美を訪ねてみませんか?

15~18世紀、フィレンツェを統治したメディチ家。
彼らが建造したヴィラは、イタリアやヨーロッパ中で王侯貴族の邸宅のモデルとなりました。
現在、12のヴィラと2か所の庭園が世界遺産に登録されています。
フィレンツェから近い3つのヴィラをご紹介します。

ヴィラ・ペトライア(世界遺産)

フィレンツェから北西へ車で40分ほどの丘の上に立つヴィラ・ペトライア。
1530年にメディチ家の所有となり、英明な君主フェルディナンド1世の命を受けた建築家ブオンタレンティの手によって改造されました。
彼は正方形の館と14世紀の塔を保存し、斜面に広がる大庭園を追加しました。

「ペトライア通り」を進み、ヴィラへ向かいます。

敷地の入り口には「ワンちゃんお断り」「外で待っているね」の張り紙が。

いっぽう、ニャンコは出入り自由のようです。
お出迎えありがとう!

14世紀の塔が印象的なヴィラです。

門にはメディチ家の紋章、6つの丸薬(貨幣という説もあり)が装飾されています。

館の入口をくぐると、そこは舞踏室!
ガラス張りの高い天井からシャンデリアが下がり、壁は17世紀の画家ヴォルテラーノが描いたメディチ家栄光の歴史で埋め尽くされています。

実は、ここはもともと中庭だったのですが、19世紀にイタリアの初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の私邸になった際、舞踏室に転用されました。

さらに奥へ進むと、タペストリーで飾られた「赤の部屋」や、

19世紀のピアノが置かれた音楽室、

望遠鏡のある書斎、

青とゴールドの配色がエレガントな「青の部屋」、

天蓋付ベッドが鎮座する寝室、

19世紀のゲームが並んだ「遊戯の間」などが次々と現れ、過去にタイプスリップしたかのような気分にひたれます♡

そして、幾何学様式の庭園は手入れが行き届き、Tutta Italiaスタッフが11月に訪れた際も、様々な花を楽しむことができました。
現在の庭園の姿は1800年代の様式を取り入れていますが、メディチ家がヴィラの主となった1500年代の資料を基に、フィレンツェの紋章に描かれたアイリスや、ルネッサンス時代に栽培されていた林檎、梨、枇杷などを植えています。

噴水になったワインの神、バッカスと目が合いました☆

フィレンツェのパノラマもぜひお見逃しなく!

ヴィラ・カステッロ(世界遺産)

ヴィラ・ペトライアから徒歩15分ほどのご近所に位置するヴィラ・カステッロ。
ルネサンス芸術の庇護者、ロレンツォ豪華王が活躍していた1477年にメディチ家の所有となりました。
最も古い歴史を持つメディチ家のヴィラの一つです。
現在はウフィツィ美術館の至宝となっているルネサンス画家、ボッティチェッリの代表作『ヴィーナスの誕生』と『春』が飾られていたことでも知られています。
トスカーナ大公・コジモ1世の命を受けたトリボロが改造を手がけ、フェルディナンド1世の時代にほぼ現在の姿となりました。
ヴィラの内部は出版社が入居しているため見学できませんが、たいへん見事な庭園を見ることができます。

幾何学式庭園のあちらこちらに植えられたハーブが、爽やかな香りを放ちます。

中央に設置されたアンマンナーティ作「ヘラクレスとアンタイオス」の噴水が自然と目を引きます。
英雄ヘラクレスはコジモ1世、彼に絞め殺されようとしているアンタイオスは敵を表していると言われています。

柑橘類の鉢植えも豊富です。
元気な色彩の花と果実を見ていると、心も潤ってくるよう♪

ヴィラ・ペトライア、ヴィラ・カステッロへのアクセス

フィレンツェ サンタ・マリア・ノヴェッラ駅前バスターミナルから市バス2番または28番に乗車、”Sestese 03″停留所下車。
ヴィラ・ペトライア、ヴィラ・カステッロとも停留所から徒歩15~20分くらい。
二つのヴィラの間は徒歩15分くらい。
帰りのバスチケットもあらかじめ買っておくと安心です。

秘密のヴィラ・クイエテ

ヴィラ・ペトライアとヴィラ・カステッロのほど近くに、知られざるもう一つのヴィラがあります。
女子修道院として利用され、メディチ家の末裔、アンナ・マリア・ルイーザも晩年を修道女たちとともに暮らしたヴィラ・クイエテです。
アンナ・マリア・ルイーザは、自らの代で途絶えるメディチ家の全財産を遺言でトスカーナ州に譲渡、かつ州外へ持ち出せないようにしました。
そのお陰で膨大な美術コレクションは散逸を免れ、今もフィレンツェで見ることができます。

四方の壁と天井をフレスコ画で埋め尽くしたメディチの間です。

十字架を頭につけた鹿の不思議な意匠は、アンナ・マリアの夫グリエルモが信仰していた狩猟の守護聖人、聖ヒベルトのシンボルです。

よく見ると、壁に隠し扉があるのがお分かりになりますでしょうか(画像左側)?中に入るとらせん階段で上層階と行き来できるようになっているそうです。

また、こちらの建物では1650年から1900年代までモンタルヴェ女学校が開校していました。
富裕な家庭の子女が学び、特に、女性に向けた化学、天文学、数学教育のパイオニア的な場所でした。
修道女たちは、あのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局を運営していたフィレンツェの修道士たちから薬草の調合を学んでいました。
作業に使われたお部屋が今も残っています。

薬草を入れた壺はフィレンツェの老舗陶磁器メーカー、リチャード・ジノリ製です。

教会には、女学校を開いた女性教育者、エレオノーラ・ラミレス・デ・モンタルヴォのお墓が残っています。
清貧な修道院にふさわしく、大理石ではなく漆喰でつくられています。

代々受け継がれた銀の祭壇は、修道女が私物の宝石をはめて、装飾を加えていきました。
フィレンツェにナポレオン軍が侵攻してきた時は、略奪を避けるため畑に埋めて隠したそうです。

女学生が他の信者から姿を隠して礼拝に参加できるよう、2階に格子窓が取り付けられています。

そして、ヴィラ・クイエテを訪れたらぜひご覧いただきたい貴重なお宝が、ボッティチェッリ作「聖母戴冠」です。
長らくその存在を忘れられ、1922年まで非公開となっていました。
ミュージアムスペースでご覧いただくことができます(撮影禁止)。

ヴィラ・クイエテは一般非公開となっており、予約制のガイドツアーで見学可能です。
予約代行、フィレンツェからの専用車、日本語通訳の手配を承ります。お気軽にお問合せください。